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「修学旅行をもう一度」

「修学旅行をもう一度」

~ Remember  when! (覚えとんね。あん時んこつば)~

4回生 井本 南海雄

”行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲”

佐々木信綱

 昭和26年(1951)だった。あの頃、太平洋戦争が終わって六年が経ち、途絶えていた修学旅行が漸く復活する事になった。その復活第一回が我々の学年の関西方面への修学旅行だった。だが、交通事情はまだお粗末で、佐世保から蒸気機関車が牽引する夜行列車に乗り、往復の車中で二泊、奈良と京都で各一泊する「大阪・奈良・京都五日間」という当時では大旅行、グランドツアーだった。  大阪駅から大阪城まで歩いて”大阪城のフトサー”と驚き、薬師寺では若き青年僧・高田好胤師から薬師寺・西の塔復元の熱のこもった説明を聞き、東の塔の前では教科書で習った佐々木信綱の歌の碑の前に立って感激し、ボンネット型の観光バスで京都市内を巡り、清水の舞台に立ち、新京極でお土産を買ったことなどが、今も懐かしく思い出される。そこで「修学旅行をもう一度」というわけです。

甘く切ない青春の思い出、修学旅行。あのキラキラと夢と希望に輝いた菫ヶ丘の日々よ。

セピア色に変わったアルバム。夢のように過ぎ去った楽しかった修学旅行を思い出しながら、もう一度京都を訪ねてみよう。そこでどんな出会いがあるのだろうか。

さあ、もう一度古都・京都へ。

 あれから60年もの時が流れた。「飲め飲め、長生きするぞ」と皆で飲んだ清水寺の「音羽の滝」の水は今もあの時と変わらずに流れている。

清水の舞台に立って京都の町を眺めてみよう。そうすれば、あの日の自分に戻れるかもしれない。そう思って舞台に立ってみても、たぶん昔の景色は何も覚えていないし、何も思い出せない。泊まった旅館の名前も覚えていない。

京都には、そのうちいつか、いつかで、通り過ぎるだけ、新聞やTVで見るだけで、ずいぶん長い時が過ぎた。昔の京都にはなかった高い建物が目に付く。京都は変わったのだろうか。いや変わったのは眺めだけではなく自分もだ。茶わん坂を歓声を上げて通り過ぎる修学旅行生の制服姿が眩しい。

私たちも八坂神社から南禅寺、銀閣寺を訪ねてみよう。

南禅寺から哲学の道を歩きながら、千二百年前の古都の歴史のことを、それに比べてわずか数十年の自分の人生のことを考える。そうして人生で出会った出来事や人々のことも。

三条大橋を渡ろう。鴨川の水は昔のとおり静かに流れ、風は穏やかに川面を吹いていく。

散策の後で御所の庭を覗いてみよう。大河ドラマで見た薩摩屋敷跡はすぐ北隣だ。いまでは大学のキャンパスになっている。町屋の並ぶ通りも歩いてみたい。あのとき駆け足のように見て回った名所、旧跡、修学旅行では行けなかった先斗町、木屋町など町屋の通り。お土産を買った新京極、ついでに錦市場も。

再び京都に”来て良かった”と、心から思えるひと時を持ちたい。

過ぎ去った若かった菫ヶ丘の時代。あの日の熱っぽい興奮はもうないだろうけれど、少しは人生を知った大人の目にも再び感動は蘇るだろう。

京都へ、修学旅行をもう一度



※四回生の皆さんの2度目の修学旅行は佐世保組・東京組と二回行われました。

【京都祗園の町屋の前で】

※写真ご提供:山邊玲子さま(四回生)

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謝辞 この記事を掲載するにあたり、佐世保南高校の先生方にはお忙しい中、貴重な写真をご提供いただきました。心より御礼申し上げます。

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